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静御前に祈り 女の魅力 美と技を磨く
静御前墓碑
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栃尾は那須姓が飛び地のように存在しており、これは那須与一の兄弟が平氏に加担したが赦免され栃尾から山を隔てた下野国に領土を持った事に関係すると考えられている。静御前は那須氏を頼って平泉に入ろうとしたが、1190年旅の途中この地で病を得て没した。鎌倉幕府執権西明寺時頼はこれを憐れみ、建長寺開山の名僧蘭渓道隆を下して弔い、松寿峰永徳山耕徳寺を建立した。
歌川国芳 静御前
静御前はここ栃堀から山脈を超えて会津を経由し平泉を目指す心算だったが、長旅の疲労から床に伏せ、従者の看病の甲斐なくここに没した。 戒名は源貞院殿松寿妙栄大姉とされている。
この石塔は明治時代に対岸の村に住む「福王子セイ」という16歳の娘が、朽ちゆく静御前の墓に心を痛め、自ら稼いだお金で立て直そうと決意した事に起因して建立された。福王子セイは若くして病没した。